

あの時、韓国にあるギターはすべて海外からの買った物で、ギター一本の値段は普通より何倍も高い貴重な物だし、ギター楽譜もあまり無かった時代たったの為、ギター制作の情報が一切無かった。
それで教えれくれる先生や、参考出来る本も無かった状態で音の感覚たけをたよりにギターを作り始めて、成功した。ギター制作が可能たった理由は彼の音に対する才能と努力でした。
中略。。。
”いい楽器ーは持ち主がどんな態度で演奏と管理をするので決まられる。音楽を知ってる人は楽器を人のように大切にする。それで音だけでもいい楽器を区別出来るように楽器に真心を込めて大切にする。”
これは彼が生きていた時によく言った言葉だ。
-”今日の韓国” 1991年2月記事、”セゴビアから受けた感動、手先から作り出す匠人の人生”の中から-

嚴さんはギターの製作だけでは無く、演奏活動、演奏教育活動を行い韓国クラシク・ギター協会の設立に参加し、副会長を歴任した韓国ギター歴史に残られる活発な活動をして来た制作家であり、韓国ギター歴史を言える人で。。。
1959年”韓国ギター演奏家協会”創立メンバー
当時、HeeHyong Ha先生は日本産のスズキ・バイオリン7号(同時、韓国には5~6本ぐらいしか無かった。)を購入し演奏をしたバイオリン愛好家でしたが、その時からはクラシク・ギターだけを演奏するようになりました。
その後、弟子の嚴さんがInGul Kim先生を紹介し、今の”韓国ギター協会”の前身である”韓国ギター演奏家協会”を1959年創立する事になりました。




嚴さんは韓国ギター協会で演奏家として活動した為、訪韓した海外の演奏家達と活発に交流して来ました。
特にベルリン・音大の教授ラウリ・レンドルフは嚴さんとふるい友人であり、何時も嚴さんのギターに対して助言をしてくれました。それで嚴さんのギターは韓国人の感情をよく表現出来ながらドイツ・楽器の音を同時に表現出来るようになりました。
そして、最近ドイツに開かれたMusic Messeで出会った多いドイツ音大教授達や演奏家達からは美しくて深い音をするギターだと評価されました。




嚴さんは他の制作家達と異なってギター制作だけでは無く、演奏と教育に力を入れて来ました。その理由は自分の夢だった演奏家を育ちたい気持ちもありましたが、生活の中に音楽と芸術を実験させたい気持ちが強かったそうです。
その為に韓国の大学でいくつかのクラシク・ギター同好会の創立を支援して来ました。その中で悳成女大のクラシク・ギター同好会の”雲香”の創立に力を入れ、創立以後10年ぐらいにレスンしました。
今も、その続きとして地元の文化センタでクラシク・ギターのレスンをしています。




1988年以前の韓国は海外に行く自由がありませんでした。それで1980年代までは訪韓する海外の制作家を会う以外には交流は出来ませんでした。
1988年から韓国人の海外旅行が自由化になってから、嚴さんは韓国を飛び出し、海外の制作家との交流を始めました。
その時、ドイツでギター制作をしている佐藤さん、そして日本でギター制作をしている松村さんと出会い、友達になりました。
お互いに言葉が通じてないけど、同じくギターを愛し製作しているし、同じ悩みをする人生を生きて来た人立達の間には言葉は要りませんでした。

Gazuo Satoさんはイギリスのホゼ・ルビオの下でギター制作の授業を受けた後、ドイツでギター制作をしている日本人制作家。


Posted by Hongsik


